謎制作の原動力
7月に入って、
というアカウントで出している問題制作の原動力についてのお話です。
自己紹介
どことはいいませんが、謎制作サークルの一員で、多分最古参メンバー(厳密には2期?)です。
サークルでも、名義はうみねずみ(ざわわ/なまこざわのときも)です。
団体公式Twitterで、一日一問謎を出す時期にも所属してて、週2で制作してたこともあります。
企業からの依頼で周遊型*1を一人で作ったりしたこともありました。
ニコリのエニグマには1.2ともに寄稿しています。(露骨な宣伝)
謎づくりに関しては、まあまあベテランといっても過言ではないでしょう。
もちろん、作るだけではなく、解く側に回ることも多かったです。
普通に2桁は参加してます。
「謎解き」について
ここ数年で、謎解きは爆発的に人気が出てきたと思います。
SCRAPはCMをばんばん流してますし、イベントでも「リアル謎解き」と題打ったものが多く見られる気がします。
また、テレビでもナゾトレという番組が人気を博していますよね。
市民権を得た、といってもいいでしょう。
ただ、謎解きに「先鋭化」が起こってしまっているように感じます。
いいかえれば、
- みたことない問題を
- もっと難しいものを
- 手間のかかった問題を
こういったことばかりが重視されている、ということです。
ある程度慣れた人にとっては、いろいろな問題が「かんたん」に見えます。
また、「このギミックはみたことある」というのもあるでしょう。
少々飛躍が過ぎる(と感じる)ものも、優れた頭脳と経験で納得してしまいます。
じゃあ、出題する側は当然、
「ちょっと無理があるかもしれないけどみたことないものを」
「もっともっとむずかしいものを」
作るようになりますよ。
けれども、そこには常に「解けない人」、「解けなかった人」がいます。
僕は、それを切り捨てたくはない。それが、スタートでした。
解けない
解けない、とはどういうことなのか?
正直な告白をすると、僕はどちらかといえば「解けない」側の人間です。
だから、僕の素直な気持ちを述べます。
もうやだ。自分に解けるもんじゃないし、もう解かない。
ストレスなんですよね、解けない問題って。
見るのも嫌になってくる。悔しいし、もやもやするし、でも解けないし。
じゃあいいや、解けない問題には挑まなきゃいいんだよ。
そうか、謎解きの謎って解けない問題だから、こういうのは無視しよう。
こうなります。(実例を知っている)
あろうことか、解説見ても、発想の飛躍が求められたりしてて納得すらできないこともあるんですよね。しかも、よくわかんないことに、「解けない」ことを売りにしている人までいる。
というか、この謎解きブームの火付け役であるSCRAPのコンテンツが「挑んだ人の多くは解ききれない」ことがほとんどなので、当然かも知れませんけど。
「謎解き」の原点
謎を解く、というのは、本来「スッキリ」感にあるのだと思います。
わからない、がわかったに変わる。
わからない、をわかったへ変える。
その落差の快感だと思うんですよ。
ただ、「既知」だったり、「落差があんまりない」とそれは味わえない。
だから、こぞって「今までになかった、難しいもの」を追い求めるんだと思います。
難しいものが解けたときの感動は、もちろんひとしおでしょう。
そこを否定する気はありません。
けれども、「そこに到れる人」の少なさ、少なくとも「僕には無理だ」と感じた今、僕は「万人が解ける」問題を作りたい、「解けること」が前提の問題を作りたい、そう思うようになりました。
だから、僕は「謎解き界隈にいない人」が解けるものを作ろう。
そういうモチベーションでやってます。
だから、僕が作るものは、誰もがしっかり解けるように、
- 何について考えたらいいかわかる
- 問題以外の実例をふんだんに盛り込む
- 解法がわかったら、その先は脳内で解ける
- 少々ベタでもある程度は気にしない
- ヒントは求められたらしっかり出す
こういったことを意識しているつもりです(失敗することも多いですけど)。
界隈にいる人にとっては「ベタ」な問題でも、界隈にいない人にとっては初めてみたギミックは、「世界が変わるような」ひらめきだと思うんです。
だから、目指しているものは、「他のところはともかく、このアカウントから出る問題は解けるから、挑んでみるか」という境地だし、一番ツイートを見てほしいのは「謎解きを全然知らないひと」なんですよね。
とにかく、「解けた!」の一言のために、作ろうと思っています。
*1:広場や遊園地の各所に、会場の出し物や地形を利用した問題が配置されそれを解くことで会場全体を回ってもらうもの