リハビリ
気がついたらなんと一つの季節を超えてブログを放置していた。怖い。
放置していて全く進捗がなかったわけではなくて、私生活ではブラックな働き方と並行して就活を始め、内定が出て、その中から就職先が決まり、姉と、そして実家と完璧に決裂して、卒論も提出して卒業が決まり、3月から4月で環境が大きく変わる(変えられる)ことが決まりました。一応報告まで。
さて、最近のTwitterは荒れていますね。最近だと、カルロス・ゴーン、宇崎ちゃん問題、#kotoo、コロナウイルス、はあちゅう血液クレンジング、桜を見る会、ラブライブポスター問題なんかが結構活発な議論になっている印象を抱いています。
そんな中、僕が考えたことは、「言葉通じてねえなあ」ということです。これに関して今日は書いていこうと思います。正直なところ、ここ数ヶ月、なにもインプットもできていません。アウトプットもサボり倒して腕が錆びついています。読みにくい文になりますが、どうかご寛恕ください。
僕はどちらかというと、フェミニズムや、親LGBTQsを受け入れよう、グローバリズムを声高に唱えている人がそこまで好きではありません。こう書くと誤解されそうですが、僕は女性を蔑視しているわけでも、いろんな性フォビアでも、外国人排斥論者なわけでもありません。
むしろ、大学の環境のおかげもあり、「理解しよう」と努める方だったり、差別的な思想ではなかったか?と自省することが多い方なのではないかな、と思っています。(書いていて思いましたが、これは単なる思い上がりな気がしてきました)
では、なぜそういう人が好きではないかというと、そういうことを「声高に」言っている人はえてして、「いちばん大事なものは人権である」ことを譲ろうともしないし、自分がそれを意識していないことに無自覚だからです。
「いちばん大事なものは人権である」、言い換えれば、「人権至上主義」というのが、僕は正しいかどうかは別として、結構嫌いなんだな、と思います。
すべてのベースは人権にある、というのは当然では?というのが、割と賢い人にとっては常識だと思うのですが、なぜそれが常識なのかというと、人権思想が西洋から流れ込んできたからで、そして日本国憲法に記載され、また人権憲章などの存在ゆえだからだと、自分は考えます。
けれど、別にこれが常識じゃない人もたくさんいて、例えば「神至上主義」「共同体(国、会社、家族)至上主義」みたいなものは結構あるし、おそらく振り返ってみれば、思い当たるフシはあなたにもあるんじゃないでしょうか。
いや、それでも、人権至上主義は最高である、人類のたどり着いた最高の答だ、と思う人もたくさんいると思うんですけど、でも「人権を一番高い位置に据えることで起こる問題」にあまりに無関心では?というのが、最近ふんわり自問しているテーマなんですよね。
例えば、「人権」とは、様々な属性に関係なく、「その人」を受け入れる、大事にする思想なんだ、だから性別、国籍、性指向、文化、宗教の一切を気にするな、みたいなことをよく聞くんですよ。これは男女同権やグローバリストの人から結構聞く気がするし、僕自身なるべく心がけていることでもあります。
けれど、「関係なく」というのは無理が来るんじゃないか?というか、実際に無理が起こっているんじゃないか、そしてそれに向き合えていないんじゃないか?
例えば、「出生率の低下」「治安悪化」「宗教対立」「トランスジェンダーとスポーツ」に関して向き合ってきたでしょうか?あるいは、解決にいたろうと建設的な議論をしているでしょうか?
男女同権、人権至上主義、そして性と人格を分けていく、というのは結局、「人間を動物扱いしない」ということにほかなりません。性欲と性差別の線引きが難しい以上、残念ながら今後ますます出生率の低下は、男女同権が進んでいくと加速していくでしょう。
一応書いておきますが、これはスウェーデンなど北欧でも起こっており、日本だけの現象ではありません。あとアメリカが男女差別に煩いのは表向きだけですよ。それは人権思想は「教育」によって養われるものであり、インテリの持ち物であり、支配者がインテリだから人権が正しくなってるだけです。
何度も書いていますが、これは悪いところを見ているだけで、いいところもたくさんあります。
ただこれは、人権至上主義以外の至上主義でも、「メリットが有り、デメリットが有る」ということにほかなりません。
今人権至上主義によって起こっているような「問題」というのが、その他の至上主義によって「解決」することができる。その代わりに、今全く起こっていないような問題が起こっている可能性がある。
例えば、現状人権至上主義というのは完全に支配されてはいないので、「跡取り」問題で、長男が継ぐことになっているが継ぎたくない、みたいな問題を、男女差別がなくなれば解決できます。(まあ、本当に人権が推し進んでいればそもそも家制度の存在が問題になっていそうですが…)
逆に、「生殖至上主義」であれば、例えば機械が完全に生殖をコントロールして、交配相手を決めたりすれば、出生問題は解決するわけですよ。こんなん人権至上主義に照らしたら炎上しまくるでしょうけど。
僕が最初に言っていたこととつながってくるのですが、「何を大事にするかによって何が問題なのか、何が問題ではないのか」が決まる、ということで、そこを一致させないと話ができませんよね。
十進法の世界では、1+1+=2ですが、二進法の世界では1+1=10なわけですよ。
で、二進法の人が十進法の人に「1+1=10でないのはおかしい!直せ!」って言っても、「なーにいってんの?」ってなるだけなんですよね。
でも、ぱっと見「同じアラビア数字と記号が使われている」ので式の意味はどっちも理解できちゃう…なまじ言葉が通じちゃうがゆえの悲劇がここ最近多いなぁ…って思います。
最低限同じ土俵で、同じ世界のルールで戦わないといけないのに、お互いがお互いのルールを譲っていない。そして、全く譲歩せず違う至上主義の人に押し付けてくるのが、冒頭で書いた人々な感じがして、というのが僕の今日したかった話です。
僕は「多様性至上主義」であり、「人権主義寄り」かつ「共同体主義寄り」なので、男女同権じゃない(完全じゃなくてもいい、という意味です)ところがあってもいいなあ、くらいの思想です。
これはまたいつか書こうと思うんですけど、「人権」というのは、「自然」から離れ知性が生み出したものなので、「教育」によって後天的にインストールされるものなんですよね。その意味では、僕は全世界の人が人権主義になるのは無理だと思います。