なまこ旅行記。

旅行記と生息記。

なまこ旅行記

僕は言葉になりたかったのかもしれない①

 

記事タイトルの通りです。

 

と、いうと身も蓋もないので、文章をこねていきます。

 

 

とても長い前置き

 

まず、記事タイトル、

 

「僕は言葉になりたかったのかもしれない」

 

には、ある一つの表現技法が使われています。

 

 

 

はい、比喩ですね。

 

なりたかったものを言葉に例えています。

 

比喩にはざっくりいうと、直喩と隠喩の2つがあります。

(学術的には直喩、隠喩、換喩、提喩の4つに分けることが多いと思うけど、

そういうのは院生さんとか辞書とかに任せます。落ちこぼれだからね)

 

直喩

直喩というのは、「~ような」に代表される、そのままずばり

「直接ものに例える」比喩のこと。「みたいだ」「ごとき」とかもここだと思う。

(辞書には載ってないけど、まさにとか、まるでとかもじゃないのかなあ)

 

例:なまこざわくんはゴミのような人間だねえ。

 

わかりやすいのでよく使われる。

 

隠喩

それ以外の比喩。いや、本当に。

換喩、提喩など、変なやつはここ。

 

「みたい」「ような」を使わず、ただ体言で言ったりする比喩。

 

例:なまこざわくんはゴミだねえ。

 

簡潔でインパクトがある。かっこいい。

 

前振りの回収

というわけで、比喩は比喩でも、

暗喩が使われていたことがわかりました。

 

そして、比喩の大事なポイントは、

 

「一般化の共有」です。

 

「共通のもの」を見出す作業こそが、比喩全体の面白さなわけです。

 

「彼の勢いは獅子だった」という比喩は、

 

「怖さ」「勇猛さ」「雄々しさ」などの要素を、

「勢い」と「獅子」に見出すからこそ生まれます。

 

そして比喩の伝わりやすさは、例えるもの、

つまり今回は後ろの「獅子」の持つものに大きく依存します。

 

「獅子」には、一般的に「怖さ」「勇猛さ」「雄々しさ」がある、

と共有されているから、この比喩は暗喩であっても、万人に伝わります。

(伝わってますよね…?)

 

逆に、その”伝わりやすさ”こそが、比喩の陳腐化、つまり

 

「この表現、どっかで見たわ…」

 

となってしまうわけで、なかなか難しい。

 

だからといって、

 

「彼はネクタイだ」

 

とかトチ狂った例えをしても、

ネクタイは一般的に人を指すのに使われていない上、

ネクタイへの共通のイメージが僕らに共有されていないために、

どういう要素を指しているかわからないわけです。

 

つまり、いい暗喩は

 

・共通の一つのイメージが万人にあり伝わる

・それでいてある程度使われていない

 

となるわけですが、そう簡単にできるわけがありません。

できたら小説家になってます。

 

今回の暗喩

それを踏まえて言うのであれば、今回の

 

「僕は言葉になりたかったのかもしれない」

 

に使われている暗喩は、伝わりやすさ的には、

決していい暗喩とは言えません。

 

なぜかといえば、「言葉」から連想されるイメージが人によって違うから、

というのもあるし、「言葉」が持つ意味や担っている機能というものが、

あまりにも大きいからです。

 

では、なぜそれを使ったか、というと、

 

「伝わらないこと」を目的としていたからです。

 

どういうことでしょう?

 

一旦ここまで。

 

 

その他

ちなみに

換喩

→そのものの上位語・下位語などでそのものを表す。

 

例:霞が関に衝撃が走った!(霞が関政治界隈)

 

提喩

→そのものの属性などでそのものを表す。

 

例:花見をする。(花→桜)

 

どっちとも言えるものもあったりするのでなんとも言えないです。

論文もたくさんあるから詳しくは本を読もう。

 

追伸

近況報告ですが、

大学をやめずに半年残ることにしました。

 

そのための学費を捻出するために2.3月は、

シンデレラの馬車鼠のごとく働いていました。