なまこ旅行記。

旅行記と生息記。

なまこ旅行記

ゲームはこれからどこへ向かうのか?

ゲーム業界の戦いとはつまり、常に「しなくてもいいや」という満足との戦いなのではないか、と思う。

 

 

そもそも、ゲームが出ると、「ゲームの代替体験」、つまり「なにかでゲームの情報を共有しよう」というものが同時に出現してくる。これさえあれば、ゲームを”やったつもり”になれる、というやつである。

 

ファミコンゲームボーイの時代であれば「ファミ通」や「攻略本」といった形で情報が共有されていたし、この現代では「Youtuber」「実況プレイヤー」といった人たちが声と動画で共有を行っている。

 

これは、テクノロジーの「進化」と連動していて、ゲームが「静止画像」をメインで表現されているときは、出版物のように、「静止画像」の写真を上げていたし、それを組み合わせて「MAP」を作り上げていた。

 

ところが、最近は静止画では追いつかなくなってきた。何故かといえば、「動画」の登場、正確に言えば、「ゲームも動画をガンガン投入できるレベル」に進化し、また、それに伴ってゲームにも「奥行き」が生まれてきたからなのかな、と思う。

 

それは、今まで技を入力したらせいぜい振動エフェクトがついた一枚絵だったのが、エナジーチャージをしてドカーンとビーム打って相手がダメージを受けている、という描写がアニメーションで実装されるようになった。

 

これを写真で説明できるか、伝わるか?といえば、まあ伝わるかもしれないけれど、どうせなら動画で見たいよね、という話になってくる。

 

受信側がパソコンやスマホなど、再生手段を日常的に所持しているならば、いうまでもないだろう。

 

奥行きに関してもそう。上下左右、いいとこ斜めがせいぜいだった動きが、「裏に回る」などの動きや文字で説明しづらい動き、それこそ動画を確認しないと理解できないような、俯瞰図ではカバーしきれない立体的な動きもゲームに取り入れられてきた。

 

つまり、なんとか「画像」を見るだけでは満足しきれないものを追い求めて作った結果今に至り、しかしそれでも「動画」を見せることで満足されてしまった。しかも、声付きの。

 

二次元の共有を避けて、ゲームは三次元に移った。が、それでも対応「されてしまった」のが今なわけですよ。つまりゲーム業界は更に「新次元」に移行しないと生き残れない状況にあるわけです。

 

因みに、この「共有」によって「プレイしなくてもいいや」と思わせるやり方を回避させる方法があって、これがソシャゲやスプラトゥーンの成功の理由だと思うのですが、それはまたいずれ…。

 

さて、「映像」によってすべてが共有されそうな今日このごろ、どうやってそれを回避していくのか?

 

その答えは、「共有できないものをゲームの要素に増やすこと」という当然のもの。

 

具体的に言えば、「本人の感覚」を操っていくしかない。

 

もっと具体的に言えば、僕は「触覚」がキーになると思います。これも「VR」という技術によって着々と開発されつつありますが、まだまだ行き渡るまでにそれなりの時間を要するでしょう。

 

従来のゲーム、つまりコンピュータゲーム、というのは主に「視覚」、ときたま「聴覚」、そして指の僅かな筋肉を使ってやるものでした。*1

 

ところが指を除くと、使ってる感覚って動画と完全に一緒なんですよね。

 

だから、この感覚の土俵で戦う限り、共有者からは逃げられない。故に、「もう少し感覚を増やす」ことで対応してくるんじゃないかな、というのが僕の予想です。

 

というか、実際にその試みはすでにされているんですよね。

 

例えば任天堂

 

任天堂は、これに早くから対応していたように思います。実際、Wii3DSなんかはかなり「身体」を意識させている機種ですしね。

 

でも、そもそも「現実」から離れるために「コンピュータゲーム」が開発された(と僕は思う)のに、逆にないものを求めていくと「ゲームの現実化」に近づいていくのは、なんだかうーんって感じですけれど。

 

ただ、Wiiリモコンのような、「身体動作を組み込むもの」というのがゲームの世界の中で主流にならなかった、なれなかったのは、いくつかの理由があるとは思うのですが、多分「フィードバック」がなかったからじゃないかな、と思います。

 

そもそも、「身体動作」と「感覚」って別物で、能動と受動というはっきり区別できるものなんですよ。

 

Wiiがいまいちゲームの主流になりきれなかったのは能動だけが増えて「感覚」はもとのまま、というズレがそこに生じていたから。何かを投げるという動作をしたならば、投げるものの重みをそこに現出させなければいけなかった。

 

故に、それに追いつこうとしてくる「VR」というのは次に来るゲームに確実に搭載される…と普通の予想ではそうなるんですけど、現段階の任天堂は全く違う回答をしていて、それがニンテンドーラボ、いわゆる工作キットですね。(これはやられたなー、と素直に思いましたね…。今書いていたようなことを考えていたときに出たのがこれだったので)

 

まあ、とにかくこれからのゲームは「視覚」「聴覚」、これに加えて「触覚」が加わっていくんじゃないか、というのが僕の予想です。

 

それでもって、これってなかなか共有が難しいものでもあると思うので(ゲーム機としての触覚供給と、スマホやパソコンの延長での触覚共有は難しいハズ)、これが出来たらゲーム業界はそこそこ安泰だし、目指してるところはこのへんなのかなあ、と。

 

皆さんはどうお考えですか?

*1:そもそもゲームは、肉体から開放されるために出来たと僕は考えているので、それも当然だと思うのですが