なまこ旅行記。

旅行記と生息記。

なまこ旅行記

恋愛観について

少し前にお題を頂いた「恋愛」についてです。

面白くはないし、少し性についても触れるのでご注意ください。

最初に断わっておきますが、たぶん「受け身でいつか理想の女性が現れてくれるとかいう幻想を抱いたキモオタ」と言ってることは五十歩百歩の負け惜しみです。それでは。

 

さて、僕の恋愛についてを一言でまとめるならば「すっぱいぶどう」のようなものなのかなーと思います。

 

すっぱいぶどう、ご存知でしょうか。きつねが高いところのぶどうを取ろうとするけど、どう頑張っても届かない。最後に「へん、どうせあんなぶどうすっぱいに決まってるさ」と負け惜しみの強がりを言って終わる、みたいな童話の事です。

 

つまり、「僕にとっては絶対に手が届かないし、でも一方でものすごく手に入らなくて悔しいと思っているもの」ということなんでしょうか。

 

僕は結婚や恋愛を小学生の段階で既に諦めていました。

 

あまり僕のプライベートを書きたくないのですが、家柄が特殊なものであること、自らがいわゆる「オタク」的要素があることなどが原因だったように思います。

大学生になった今でも、というか今ならばより無理だろうなあと感じます。身長は高くなく、奨学金という金銭ハンデ、顔、あとよくわからないけど「変人」と言われる人格、そして一番大きいのは先ほどあげた家柄、僕が普通の人ならまずまあ恋人としては選ばない物件だよな、と思います。

 

 

けれども、世の中は恋愛賛美であふれています。

恋愛ドラマやら漫画やらはもちろん、最近だと恋愛工学だとか「オタクはこうこうこうすれば彼女ができる」みたいな創作物を介しない、意見とかの押し付けも非常に流行っていますね。成功譚もきいたことがあるようなないような。一方で性行為をしたことのない男女の割合が急増してもいるみたいだけど。不思議ですねえ。

もちろんそういった賛美に何も感じないか、というと当然そんなことはありません。僕も人間なので、「いいなー」とは思います。

 

しかしその一方で、「あー、無理だなあ」と一回感じてしまったことを覆すほどのエネルギーなんてありません。僕にとっては無理だけど、健全な人がするうらやましいもの、それが恋愛なのかな、と思います。

 

いや、きっと自分から動いてないだけでしょ、動いたらできると思いますよと世の男性方に言われる方がいますし、実際言われたこともあります。やればできるかもしれないけど、やることはできません。権利の上で眠るものとかいうことばもありますが、実は一度諦めたことを再開するのってものすごく大変です。じゃあ、その大変さを乗り越えるためにはなにがいるのでしょう?

 

そうですね、強い動機が必要となってきますよね。

 

じゃあ、恋愛に動くための強い動機ってなんでしょう?

 

僕にとってのそれを見つけることができませんでした。

あげられる事柄としては「精神が満たされる」「性的に満たされる」「子供が欲しい」「彼女持ちというステータス」くらいがきっとメリットなのかと思いますが、どれもべつに必須ではないなあ、と感じるわけです。

 

いや、彼女(あるいは彼氏)がいたらきっと楽しいと思うんですよ。でも、それって別に今の楽しさでもよくないか?ってなるんですよね。僕はひとりでディズニーに行くくらい一人の行動は楽しいし、趣味のカラオケとかは誘ったら行ってくれる知り合いが何人かはいるし、最近僕の親友(だと僕は思っているけど相手にとってはどうなのかわかんない)は帰国したし、性欲処理もこの時代ならどうとでもなるので、結構充分なんですよね。

 

いたらいいかもしれないけど、いなくても別に困んない。じゃあ別に大変な思いしなくてもいっかーってなっちゃうんですよ。自分で書いててすっごく負け惜しみくさいですけどね。

 

いやまあ、恋愛健常者のみなさんにとっては呼吸するくらい簡単なことだと思うんですけど。僕にとってはもはや無理なんですよ。きっと共感してくれる男性陣は多いと思います。でも「10年後ぐらいに愛妻家になってそう」ともたまに言われるんですよね。なんでなんでしょう。

 

それでは。