なまこ旅行記。

旅行記と生息記。

なまこ旅行記

贈り物

久々のブログですね。公開が遅れてしまいました。二ヶ月ちょっと書いてなかったのはびっくりです。

 

今日は、贈り物の話をしようと思います。

 

 

感情が苦手です。自分のも、相手のも。

 

僕とあったことがある人はわかると思うのですが、僕の表情って結構動かないらしいんですよ。その上で、声に感情が乗ってない、って言われるんですね。最近はなるべく意識して動かすようにして、ありがたいことに表情の方は若干豊かになったと言われるのですが、声の方はイマイチ成果が出ません。

 

話し方にも同じことがいえます。

自己分析では、僕は論理的な事柄を話すのは、そこまで苦手意識はありませんし、多分下手ではないんでしょう。逆に、僕は自分の感情を相手に伝えるのは、ドがつくほど下手くそで、というか自分が思うようには伝わっていないんだろうな、と客観的に自分を見て思います。相手の感情も読み取るのが下手で、空気が読めない子扱いされています。

 

だから、僕は人を褒めたり、励ましたり、慰めたり、つまるところ相手の感情に働きかける、ということが苦手です。(表情もそこまで変わらないので、自分の感情を外に出すのもですね)

 

 

そういったことを自覚しているので、僕は相手に何か感情を伝えたいときに「もの」で示す癖があります。お金、と言い換えてもいいかもしれません。

 

お祝い、門出、餞別、お礼、そういったイベント時に、お菓子であったり、食事であったり、時には現金やネットショッピングに使えるものであったり、そういった「もの」を贈りがちな性格をしています。

 

そもそも、なにか「もの」を贈るとき、そこには基本必然的に2つの要素が必要だ、と考えています。なにを贈るか、という「選択」と、そのものを買う(買わない場合もあるけど)「お金」という要素です。

 

「選択」には時間もそうですが、お店に行く労力、選ぶために意識を割く必要があります。

 

お金は稼ぐための時間はもちろん、使うことで確実に自分の生活に影響が出ます。

 

どちらも、意外と少なからぬリソースが使われていることはわかるでしょう。しかも、アピールされていない場合だと、そのリソースは多分、何倍にもなると思います。

 

その2ステップを踏んでいることがわかるから、おそらく自分は何かを贈る、ということにこだわるのだろう、と思います。

つまるところ、「選択のための時間や購入のためのお金など、様々な対価を支払うだけの価値が、あなたにはあるのだよ」ということを、多分確実に伝えられるんじゃないかな、と感じているから、自分はなにかを渡したがるのでしょう。

 

思春期の娘を愛しているけどどう対応すればいいかわからないからお金渡しとこ、お父さんみたいな思考ですね。

 

 

本筋とはずれますが、こういった考えがあるので、僕は言葉を巧みに操って人の心に訴えるような、表情やセリフを演出し感動を呼び覚ますような文学・漫画に、自分にはない才能をまざまざと見せつけられるから大好きなんだと思います。いや、もしかすると、本当は嫌いなのかもしれません。

 

 

だからこそ、僕は基本的に人の誕生日は本人がアピールする前に祝うようにしていますし(最低限意識をさいていることが伝わる)、祝われた方は「こいつよく誕生日覚えてたな…」みたいなことを思っているんだと思います。また、贈ってもおかしくない間柄(これ大事)であればご飯や何かを贈ったりしています。

 

しかしながら、僕の人間性が悪いので、自分の場合往々にして返ってこないことが多いです。ものは基本的にもらえないです。あ、別に贈ってくれない人を責めているわけではありません、贈ろうかな、と思われない人間関係の構築・振る舞い・言動を日々自分がしているからです。

 

だからこそ、そこで祝ってくれる、ご飯を奢ってくれる、プレゼント何がいいと聞いてくれる、そんな友人を大切にしなきゃなあ、と毎年思うわけです。

 

皆さんにも、きっと一年に一度は誕生日が訪れるはずです。そのときに祝われることは、実はとても幸せなことだし、ものを贈られるということは意外と超幸せなんだ、ということに気づいてください。願わくば、あなたの友人の誕生日では、何らかの方法で自分の心を伝えてあげてください。

 

 

 

この記事を公開する2日前が、僕の誕生日でした。

おそらくいま、文章を読んでくれる奇特な人は僕の誕生日を祝ってくれた方ばかりだと思います。お祝い、ありがとうございました。この駄文をもって謝辞と代えさせていただきます。