なまこ旅行記。

旅行記と生息記。

なまこ旅行記

完全/不完全

今日は作品論。

 

それぞれマンガ・ゲーム・アニメから1作品ずつ絞って紹介したいと思います。

 

※この記事には風の谷のナウシカFGOグレンラガンの重大なネタバレしかありません。まだ味わっていない方はご注意ください。

 

FGOの考察を見たり、グレンラガンを見返していたら、ちょっとした”共通点”のようなものに気付きました。

今回の記事は、この気付きを深めて、「あ、自分はこういう特徴のある作品が好きなんだなー」ということを知ったので、そのまとめになります。

 

ストーリー?全部知ってるよ!復習不要だよ!って人は共通点まで飛ばしてください。

 

 

 マンガ

 

まずは名作、「風の谷のナウシカ」。

何度目だナウシカ、という言葉もあるくらい金曜ロードショーで放送されていますが、意外とマンガ版を知っている人は少ないんじゃないでしょうか。

 

 

作品論を語るために、ストーリーを振り返っていきましょう。

 

ナウシカ、実は「世界の存亡」をかけた壮大なストーリーです。

 

マンガ版を読むと、映画版では全7巻のうち、2巻途中くらい、しかもだいぶそぎ落として無理やり2時間にまとめてる、という感じなくらい、重厚なお話なんです。

どちゃくそ長いのですが、ストーリーを頑張ってまとめてみましょう。

 

「火の七日間」という戦争のせいで汚染された大地には、腐海(と蟲)が広がるものの、何とか人類は生存している、という世界です。

そこで、トルメキアvs土鬼という二大帝国の戦いが勃発。

トルメキア側の風の谷という集落の跡取り、ナウシカは、病に倒れる族長の父の代わりに参戦(映画はこの辺まで)。

土鬼が蟲・粘菌兵器を使用し大地は大荒れに。

これを何とかするために、ナウシカは様々な人と交流を深め世界への理解を深化。

しかし、それを通じて、”何故腐海が生まれたのか”、いいえ、”誰が腐海を、巨神兵を、今の人類を生んだのか”、この答えを知ってしまいます。

それは「戦争で汚れた世界の浄化のため」であり、「人類は旧人類によって作られ、浄化された世界では生きていけない」という事実でした

土鬼はこの旧人類の叡智を利用しており、また旧人類は土鬼を利用して浄化を進めていたのです。

ナウシカはこれを巨神兵によって滅ぼし、人類はこれからも、この浄化されつつある、汚れた世界を生きていくことになる…。

 

っていうストーリーですね。詳しくは読んでください。

 

ゲーム

良くも悪くも話題になるゲーム、「Fate/Grand Order」ことFGO

ガチャがやばいだのイベントがどうのといろいろありますね。

ストーリーも最初はあれだったのですが、後半から巻き返してきてさすがだなあという感じです。

第一部が完結し、最近第二部が始まりました。

ところで、皆さん第一部のストーリー覚えてます?

 

www.fate-go.jp

意外とうろ覚えだったりバトルの印象しか残ってないと思うので、ここで振り返っていきましょう。

 

人類の未来を魔術によって予測するシステムが、2016年で今の人類が滅ぶ、と結論付けた。

理由は不明。しかし2004年のあるイベントが原因で世界が変わってしまったのでは?と予想。この「この歴史が違うと今の世界が大きく変わってしまうターニングポイント」を「特異点」と名付け、過去の英雄を召喚・使役し、2004年という過去に介入しようとする。

その2004年で裏切りやらなんやらがあって壊滅状態になったり、「特異点」があと7個くらいあることが分かったりします。

話を進めていくと、ラスボスが「過去を大きく変え、”現在”までの過程を消し、そのエネルギーによって、”不完全な人類を作り直す”」ことを目的としているのがわかります。

 

少しわかりにくいので、解説。歴史ものにしばしばある、「もしも信長が生きていたら」「日本が第二次世界大戦の勝者になっていたら」みたいな妄想を、過去に介入して実現させる。実現させると、現在(2018年のぼくたち、当時は2016年のプレイヤーさんたち)は消滅する。その存在が消滅する落差、エネルギーを以て新しい人類を作るわけですね。

 

結局、主人公とヒロイン(?)がそれを否定し、人類は今のまま現在を生きていくことになる…というのが第一部の内容でした。

 

アニメ

アツいアニメの代名詞と化した感もありますね。映画版も見てください。

合体シーンの口上が有名ですよね。

今ならAmazonPrimeだと全話見られますので、そちらもどうぞ。

 

 

公式によると四部構成ですが、僕は映画の少年編(紅蓮編)と青年編(螺巌編)という分け方で説明します。

 

舞台は地球。

 

地上を獣人に支配され、人間は地下世界に押し込められています。主人公シモンが偶然手に入れた謎のロボットと、人類だけが根源的にもつ”螺旋力”とともに、仲間を増やして地上の支配者であるロージェノムを倒すところまでが、少年編。兄貴分との死別、失恋、恋愛成就など。青春感があります。

 

青年編では、宇宙からの侵略者・アンチスパイラルが攻めてきます。”螺旋力”の根絶を目的とし、全宇宙の螺旋力を持つ生物を惨殺してきたアンスパをやっつける、銀河スケール(誇張ではなく、銀河を投げたりします)のお話です。政治とかどろっとした要素だったり、大人と子供、老いなどこっちの方は重いテーマだったりします。僕はこっちの方が好き。

 

共通点

さて、漫然とストーリーを振り返ってきました。

そこで僕が主張したいのは、「不完全な人類の強い肯定」、逆を言えば「完全存在の否定」が全ての作品に共通するテーマなんじゃないかな、ということです。

 

ナウシカでは、実は旧人類に任せた方が上手く行くと思うんですよ。現人類(そして動物)も、世界の浄化が終わった後はさらなる改造によって生存させることが旧人類に明言されている。

世界が綺麗か綺麗じゃないか(勿論これは綺麗を測る尺度が人類という欺瞞がありますが)、どちらがいいと言えば前者でしょう。

ナウシカがやったことは、ただ緩やかな滅びの道なんです。

しかし、ナウシカは命は自由なものでなければならない、何かに管理されるような存在ではいけない、これをストーリーの中で何度も何度も行っています。管理され、安全な静よりも、死の可能性を孕んだ動こそ、命なんだと。

 

FGOもそう。ラスボスの創造しようとした人類は、”死なない人類”。

人は”死”があるゆえに、死を恐れ、また相手を死に追いやる。すべての問題は”死”、もっと言えば消滅することそのものにある。そう考えたため、死の概念を消した世界を創世しようとした。

しかしヒロインは「永遠とは夢だ」「そんな永遠、いらない」「命は終わるからこそ美しい」「失うからこそ精一杯生きるのだ」という感情を以て否定に替えます。

恐らく、物語の中で最も死を意識したキャラクターであるヒロインだからこそ、こんな重みがあるのでしょうが…。

 

ナウシカFGOとは違い、グレンラガンは人類創世は絡んできません。メインは逆に人類の殲滅。むしろ、ラスボスたるアンチスパイラルことアンスパは、元人類。螺旋力は進化のエネルギー。その進化はいつか、宇宙そのものを食い破ってしまうことを憂慮し、アンスパは自らの時を止め、ただ一個のシステムと化し、螺旋力を停止することを自らに架します。

でもね、これって正しいと思うんですよ。グレンラガンの世界には、螺旋力を持たない生命体もいました。これからだって生まれる可能性があるかもしれない。それなのに、螺旋力を持つものは考えなしに力を使い、宇宙を滅ぼす。だから止める。

話せばいいじゃん、となるけど、便利さの誘惑に勝てるほど理性が出来ていないんですよねえ。最近の鰻問題なんか典型的かもしれません。

(ちなみに、シナリオの人も正しいのはアンスパです、と明言してる)

 

 

理性的に、合理的に考えれば、僕はラスボス側が正しいと思う。

 

だってそうじゃないですか。

 

キタナイよりキレイの方がいい。

死という苦しみは無い方がいい。

世界の滅びなんて以ての外。

 

こんなん、正直否定できませんよ。

甘い甘い誘惑です。

 

けれど僕は、正しさよりも、間違っててもこうしたい、の方が好きなんですよね。

普段、どちらかと言えば正しさを是とする考え方をしてる(つもりだ)からこそ、そうじゃないものへの憧れを抱くのかもしれない。

 

近代西洋的価値観は「正しさ」を規範とし、東洋や古代ローマ的価値観は「美しさ」を規範とした、みたいな話も影響するかな…。

 

正しいものは理性的で、楽で、倦む。

美しいものは本能的で、快で、痛む。

 

まあ、何でもかんでも二元論的に割り切れるわけではありませんが、こんな感じなのかなと。

 

現実は前者を求められることが多いから、創作では後者を求めるのかもしれないですね。