十五夜に想う月の話。
今日は十五夜(旧暦8月15日)。
満月ではないそうですが、あえて欠けた月を観るのも、また乙なものではないでしょうか。
今年は月を想うことで観月に替えたいと思います。
月の性質
詳しい天文的な性質とかはwikiを見てもらうとして。
このあとの話題に関わる性質を幾つか上げておきます。
- 満ち欠けがある。
天体運動の関係上、地球(のほとんど)では満月、新月、十三夜、宵待月、半月など様々な月の形を見ることができます。
およそ28日で一周し、その一周をもとに決めていた暦が「太陰暦」、いわゆる旧暦のことです。 - 基本的に夜に見える
当たり前のようですが、月も星も、割とお昼にも出てるんですよ。
ただ太陽が明るくて見えないだけ。
以上のことを捉えた上で御覧ください。
月と神様
「原始、女性は太陽であった」*1
月を想うとかいいながら、いきなり太陽が出てきてしまいました。
通常、「月」と聞いてイメージする性別は、大概が女性なのではないでしょうか。
事実、「月」を象徴する神様には女性が多いです。
西洋ではアルテミスなどが代表的でしょうか。
(もちろん、エジプトのホルス神などは男神だったりもしますが)
「アマテラス」という女神が太陽を象徴しているため、
冒頭のセリフが発されたと記憶しています。
月と女性
ところが不思議な事に、月経という単語が日本にはあるのです。
月のもの、といった言い方もあります。
語源は様々ですが、おそらく周期が月と似ている期間だからだと思います。
ところで、月経は血を伴うものであり、
血は汚れと結び付けられることがあります。
僕の知っている言葉に、
「月のものはな、花やで」
という言葉があります。
「花は受粉し、実を残す。その花が咲くのが今ということや」
「それは立派なことや。きれいなことや」
「汚れとされることはない、胸を張りなさい」
という意味らしいです。
満月か新月かはわかりませんが、月って基本的に美しいものです。
それこそお月見がありますし。
月と権力
もしかすると、月と聞いた瞬間、
藤原道長を連想する人もいるかもしれません。
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」*2
という和歌が残っているからですね。
月を権力になぞらえるのは、僕はとてもフィットしていると思います。
小さく見える星空の中、一際大きく輝く満月。
そうでありながら徐々に欠けるところが増え、最後には無くなってしまう。
かと思えば徐々に徐々に輝きが戻り、いつしかまた満月となる。
しかも、月が支配するのは夜空なんですよね。
暗い世界を静かに照らすのって、権力者の本来あるべき姿なのかもしれません。
月と団子
月より団子。
という言葉はありませんが、お花見とお月見って、主眼が違う気がします。
花より団子ということわざからもわかるように、
お花見は花を見る、というよりみんなでどんちゃん騒ぎをするイメージが、
皆さんあるんじゃないでしょうか。
和菓子屋に行けば分かるんですけど、月見団子ってホントは甘くないんですよ。
ただ丸めただけで、砂糖も何も入っていないんです。
あれらはお供え物として捧げるとのことで。
閑かに見るものなのかもしれません。
月と徒然草
徒然草 第137段には、
「花は盛りに、月は隈なきをのみみるものかは。」
から始まる、いわゆる「花は盛りに」という段があります。
古文の授業ではないので対比法だとか反語だとかといった文法説明はしませんが、
要約すると「満開の花、満月だけが面白いわけではない。むしろ月を見ず、月を想うことが、本当の風流ではないか。」という内容であり、「目で見えるものはいつかなくなり浅ましい。心で想うことは永遠に至れ、風流である」という徒然草のテーマも隠れています。
実際、平安貴族なんかは月を見ず、池に映った月で一杯呑んだりしてたらしいです。
さて、現在に帰ると、どうやら今夜は晴天。
月ははっきりと見えるようですね。
僕は残念ながら卜部さんのような風流人ではないので、なんやかんや肉眼で月を見ると思います。
最後に
狼男など、まだまだでてくるでしょうが、この辺で。
折角のお月見、皆さんも月に浸ってみてください。
皆さんの連想も教えてくださいね。