文系大学院に落ちてからの4日間で考えたこと。
数年後(そんなものがあればですが)に「あの時の僕は何を考えていたんだろうなあ」となったときのために。
タイトルでわかるかもしれませんが、冗長な部分、感情的な部分が多量に含まれます。
目次
自己紹介
そもそも僕のことをそこまで知らない人が読んでいるかもしれないので、少しだけ自己紹介。
地方国立大学の文系学部に行っている大学4年生です。1年生の時点で既に大学院に行くことは志望していました。
本当は他大学の大学院を志望していました。しかし、実習やらなんやらで説明会やコンタクトが取れない、絞りきれないなどの事情があり、内部進学を希望する、という流れになりました。
発表まで
なんだかんだ受かるのでは、という謎の思い込みがありました。
内部だし、英語ではやらかしたけど専門は解けたという手応えがありました。面接は、今から考えると多少の問題はあったかもしれませんが、当時は無難にこなせたという感触だったからです。
だから、「英語の足切りさえなかったら受かるんじゃないか?」という結論を出していました。
しかし、「出来た気がする」となったときの僕の結果は惨憺たるものなことを、人生で経験してきています。実際、本番のセンターでも出来たと思った科目は過去最低点でした。そのため、薄々やばいかもしれないな、とも感じていました。
発表当日
発表
朝10時。HPで発表でした。前日の晩と起きてから10時までの時間が一番興奮していましたね。
僕の番号はありませんでした。何かの間違いじゃないか、他の学科のとこ見てるんじゃないかと思って、5分位は、何度も何度もPDFファイルを読み込んだり閉じたりしていました。
どうやら、僕が大学院に落ちたことは間違いないようです。
このとき、僕の脳裏でよぎっていたのは「うっわマジか。落ちたか。仕方ないな」ぐらいです。
正直、落ちたことへの悲しさとか、残念さとかはほぼ一切なくて、「両親を落ち込ませるのが嫌だなあ」「先生や先輩、あとは受かった友人たちと会うのが気まずいな」という面倒臭さだけがありました。
発表直後
まずは親しい人への連絡を済ませました。
仕事のお父さんへの電話、自宅のお母さんへの電話。この時もう完全にいつも通りに立ち直っていて(そもそも落ち込んでいないのですが)、慰めてくれるお母さん相手には空元気でもなんでもなく、本心からの笑いを交えつつ会話しました。
次に、親しい友人たちへのLINE。文学部の親友(少なくとも僕はそう思っている)、昨年ご退官された恩師、同じ学科の院試を共に受けた男の友人、同じ学部を受けた友人の4人に落ちた旨を伝えました。
そのあとはSNSに報告をしました。TwitterとFacebookにさらりと落ちました、という事実を簡潔にまとめたつもりです。いや、Twitterではだいぶしつこくやりましたね。
その夜
不合格直後だというのにもかかわらず、ごく普通に友人とカラオケに行ってました。
あと、この日に、「けものフレンズ」のたつき監督が二期のアニメプロジェクトから外れるというツイートでついったーらんどに激震が走り、僕のことは一瞬で忘れられたんじゃないかなと思います。
次の日以降の行動
うーん。落ちたものは仕方ないし、今更変えられないしなーと思いながら、その後ほんとにただの夏休みを送り続けています。
ブログを更新したり、自炊したり、ゲームしたり、本読んだり…。
特に泣きじゃくったわけでもなく、だからといってふらりと旅に出るわけでもなく、ただただ「日常」を過ごしていますね。
唯一違うのは、落ちてからの贅沢としてマッサージに行ったくらいでしょうか。
次の日以降の思考
びっくりするほどに、落ち込む・悲しむという心の動きがありませんでした。
だから結構、思ったことも考えたことも「なんやこいつ意外と余裕たっぷりやん」と書いている自分には感じられますね。大丈夫かこいつ。
思ったこと
とりあえず思ったのは、「みんな意外と慰めてくれないんだな…」という傲慢なことでした。「おつかれ」くらいですかね?
Facebookの反応はそこまで来るとは思っていなかったんですけど、想像以上の「無反応」でした。
いいね!をくれた人、悲しいね!をくれたのはおそらく10人前後です。流石に未来が真っ白になったら、20くらいの反応が来るんじゃないかなーと期待してたんですけど。一番悲しかったのはこれかもしれない。
Twitterでも慰めの言葉をくれたのは二人?くらいだったと思います。あんまり悲しんでなさそうなのがみんなわかるんでしょうか。てっきり、誰か一人は「なまこおつかれ、ご飯行こうぜ」くらいやってくれると思ってたんですけどねえ。
あとはまあ、落ちた理由については気にしました。これは直後じゃなくて、二日後くらいに思い始めましたね。直後はそこに至るほどの余裕みたいなものが無かったです。
面接が悪かったのか、英語で足切りを食らっていたのか、そもそも研究計画がいけなかったのか。まあ、今更気にしても落ちた結果は変わらないからだいぶ軽いですけど。
それから、受かった人への嫉妬はあんまりありません。「あー、こいつなら受かって当然だろうな」と「まあ僕程度落ちても当然だよな」という2つの「当然」があるからではないかな、と自己分析しています。
考えたこと
ただまあ、現実問題として、2018年4月からのことが一切白紙と化してしまったことは間違いないので、そこについて一番考えを巡らせていました。
というか、これは発表前から「落ちたらどういう逃げ道があるのか?」と下調べしていたので、厳密に言えばその後考えたことではないですね。
大きく4つ。
- 後期試験を受ける
- 実家関係のプログラムに応募する
- 死ぬ
- 休学する
これらの妥当性について考えていました。というか今も考えているわけです。
・後期試験
まあ、最も普通の選択肢でしょう。
ただ、内部で落ちた以上、内部をもう一度受けるメンタルが僕にあるのか?あるいは、そもそももともときついであろう外部を、更にきついと思われる後期で受けて受かるほどの試験勉強ができるのか?という問題がつきまといますね。
・実家関係のプログラム
今のところ一番可能性がありそうですね。締切は12月。
一年間研修を受けて、二年間海外に派遣されて実家の関係の業務や、日本語教師などをして過ごすプログラムです。受かる可能性も高そうで、三年間安定します。
ただ、そうするとライフコースとして完全に実家関係に飲まれてしまうことが考えられます。なるべく実家から逃げたい僕には、あんまり選びたくない道でもあります。
・死ぬ
うーん。楽でいいですよね。
奨学金返済といったお金周りのことからも解放され、なおかつ実家周りも死ねば関係ありません。僕自身、そこまで死ぬことを悪いこととも捉えていないので、なかなかいい選択肢なんじゃないでしょうか。
問題点はいくつかあって、「いつ死ぬか」「どうやって死ぬか」「なにをして死ぬか」という3つ。
時間については、今すぐはちょっと…今死ぬと高卒のまま死んじゃいますし、親の希望的にも、また先生方へのダメージなどもあるのでいけません。最速でも卒業後。
方法については、痛くない・迷惑がかからない・そこまで難しくない・生き残らないといった様々がクリアできるものがいいですよね。まだ見つかってませんけど。
なにをして死ぬか。これが一番の問題で、会っておきたい人が結構いたりするんですよね。あるいは、しておきたいことも結構山積みだったりします。沖縄に行くとかね。やり残しが結構あることに気づきました。
・休学
学生の身分のうちに一度はしておきたいし、休学した後にも上記3つができると考えると、あんまりデメリットはないような気がしますね。勿論、両親からの反対だとかいろんなものがあるんでしょうけど。
メリットとしてとにかく時間が手に入ること。その時間でこのあとどうするか?を決定するのも悪くないんじゃないかな、と昨日思いつきました。
というわけで
あんまり辛かった、泣きたくなったとかはなかったですね。
少なくともどの手段を取るにせよ、そこまで差し迫ったわけでもなく、パトロンである両親や指導教官の先生とお話しながら決めていきたいと思います。