なまこ旅行記。

旅行記と生息記。

なまこ旅行記

僕たちが円盤で失ったもの。

レコード、CD、DVD、ブルーレイ…その利便性と引き換えになくなってしまったものがあるんじゃないでしょうか、っていう話。

 

 

はじめに

まあ壮大なタイトルをつけてしまいましたが、言いたいことはごくごく単純なことです。僕たちは円盤によって、聴覚、音を感じる能力を失ってしまった、と思うのです。もっと言えば、それを失うことによって多くの人はロマンを忘れてしまった、とまで言ってしまってよいかと思います。

 

円盤とは?

円盤?なんだそれは?となっている人も多いかもしれないので、ここでいう「円盤」とはなにかについて、少しだけ触れておきます。

Wikipedia大先生によると、円盤、つまりDISCとは

 

ディスク: disc, disk)は、円盤状のものを表す言葉。

(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%82%AF)

らしいです。

僕がこの文章内で「円盤」といったときには、基本的に引用内の三行目、「ディスクメディア」のことを指していると思っておいてください。

円盤の効能

いや、円盤って本当に便利ですよね。音楽、ゲーム、映画…様々なものを、とても持ち運びのし易いものにし、かつその再生を個々人の自宅で可能にした。今でこそ徐々にその主役はインターネットに侵されつつありますが、それでも、ここまでいろんなコンテンツを普及させたのは、ディスクメディアがあったからにほかなりません。ビデオテープなどのフィルムメディアも忘れちゃいけないですけど。

 

つまるところ、円盤が優れていたのは二重の意味での「収納性」だと思うのです。

 

例えば映像で言えば、ビデオテープも忘れちゃいけない、といった舌の根も乾かぬうちにいいますが、ビデオと比べて円盤が極めて勝っていたところは、体積と容量、この2つだったんだろうな、と思います。

 

ディスクメディアの取るスペースは、ビデオの取る何十分の1。ビデオが何本かいるのに対してディスクは(最近では)一枚で済む。この「効率の良さ」こそが、円盤の良さなのだ、と思います。

 

円盤によって失われたもの

しかし思い出してみてください。このブログは「失ったもの」を語る場所です。円盤賛美の場所ではありません。

 

冒頭で、「聴覚」を失ってしまったのだ、と述べた意味を、ここで解説していきます。

 

 聴覚って、音ってどこで感じているものなんでしょう?

 

音が空気の振動であり、その振動を感知するのは鼓膜である以上、耳だ。そう答える人が多いと思います。でも、僕はそれは確かにそうなんだけど、それだけでもない、と思うのです。

 

振動って、音って体で感じるものだと思うんですよ。

 

肌でも感じられるし、振動という性質上体の中にも染み込んでくる。逆に、染み込んでこない音もある。

 

映画館に行くとわかると思うんですけど、爆発音がイヤホンで聞くときと全く違う音だ、と感じた経験はありませんか。それってやっぱり、体全身で振動を感知してしまってるから、だと思うんです。

 

あるいはミュージシャンのライブ、オーケストラのコンサートでも同じことが言えるんじゃないかな、と思います。様々な楽器の微弱な振動の、その絡まり合いを、同じく微弱な肌で感じる。あるいは、臓器で感じるかもしれない。はたまた、脳で感じているのかもしれない。

 

円盤に録音され、それが再生されるとき、僕たちは基本的に(映画館といった特殊な状況を除き)ほぼ耳だけで聞くことになると思います。体で聴くにしても、それはほんの一部。なぜならば音を発する機材が、非円盤のときとは圧倒的に差があることがほとんどだからです。

 

その差、音の洪水のもたらす快楽に魅せられた人が、コンサートやライブ、映画などの根強い人気を支えているんじゃないかな、と思います。

 

というわけで

というわけで皆さん一度はライブや映画に行ってみましょう、ということでこの文章を締めさせていただきます。

 

あとは目次を初めて導入しました。ブログデザインもちょこっといじってみたんですけど、「見やすい!」「醜い!」「前の方が良かった!」などの感想をツイッターでもいいのでくれると嬉しいです。