なまこ旅行記。

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マイノリティについて

最近性的マイノリティに関してはだいぶ後押しされてきたよね、って話。

 

当事者の方は気分を害される可能性がありますが、まあご容赦ください。

 

重ねて申し上げますが、僕はマイノリティを差別する気はありません。念のため。また、僕は現時点では異性愛者なので、どうしてもマジョリティ側からの意見になってしまいます。新しい知見をくださる方募集してます。

 

 

「マイノリティ」って日本語に直すと「少数派」になる(と思う)んですけど、最近は同性愛者、或いは無性・性欲のない人、性同一性など「性」に関わるマイノリティに関してとても世界は優しくなっているなあと感じます。

特に性別関連には保守的と言われる日本ですら、徐々に受け入れる態度の人が、僕の周りでも増えてきている気がします。体感的にですけど。

 

ところで、果たして”性的マイノリティ”は果たしてマイノリティなのか、という疑問が首をもたげてきました…。

 

例えば、「実は異性愛者って8割くらいで、他は…。カムアウトしていないだけなんだよね」みたいなデータを出してくる人と以前知り合ったことがあるんですけど、2割って結構な割合ですよね。世界で言えば14億位、つまりインド+日本くらいの人がそうなわけです。そして、その彼/彼女は「数の多さ」=「普通さ」を主張しようとしていたと思うのです。

 

結局のところ、「数が多いから」「そういう人もたくさんいるから」、そしてそういった人が「無視できないほど多くなってきた」からマイノリティが認められ始めたのではないかなあと考えてしまいます。(勿論、認められるために声を上げられた立派な先人の方を害してるわけでありません。念のため)

 

つまり、マイノリティはマジョリティで、マジョリティだからこそ市民権を得た、そう考えてしまうのです…。

例えば、ケモノが好き、人間以外の動物と体を重ねるほど好きで、恋愛対象の人と、同性が好きな人、どちらも性に関わるマイノリティだと思うんですけど、前者より後者のほうが圧倒的に受け入れられにくい。この差は何か、と考えたとき、僕は前述の通りマイノリティの中でもマジョリティだから、と思ったんですよね…。

 

特に性的なマイノリティに限りませんが、マイノリティがマイノリティであることを理由に差別される、あるいは優遇されることのない世界は理想です。ですが、マイノリティはマイノリティであるがゆえに、マジョリティとはやはりどこまでも一線を画した存在であることも、また真実であるということを忘れてはいけないのではないかなあと思います。

 

 じゃあ、どこからが「認められる」マジョリティなんでしょうね…?

 

あるいは、こんな問い方もあるかもしれません。

 

 なぜLGBTsは認められ、それ以外は認められないんでしょう?

 

みなさんは、どう思いますか?