文章の癖
みなさんも多かれ少なかれ文章を書くことが、日常の様々なシーンで存在するかと思います。僕の場合はTwitterを高頻度で使っているので、周りの人より少し多いかもしれません。レポートや文章、例えばこのブログを読み返していると、たまに「自分が書いたのかな?」と思うような文があります。今日はそんな話。
僕には尊敬する物書きがいます。
別に小説家だとかそういうプロの文筆家じゃあありません。高校の同級生です。
彼/彼女(めんどいのでその人にします)の書く文章は、僕にはない言い回しが使われるなど、僕にとって非常に興味を惹かれるものでした。
しかし尊敬する理由の一番は、「脳内再生余裕」ということなのだと思います。
文章を読むだけで、その人がその文章を喋っているのがわかる。
もちろん実際に喋るとしたら多少の揺れなどはあるのでしょうが、その人の口調、話す雰囲気などというものが文章にも現れている。逆に僕の文章には(自分による評価ですが)あまりそれがない気がします。
敬語で書いているせいなのかもしれませんが、そうじゃない場合でも別段そんな風には感じないのです。だから、僕はその人に憧れているのでしょうね。
真似したい表現って、あると思うんですよ。それで実際に真似をすることもあると思うんです。自覚的にも、無自覚的にも。別段「書くこと」に限らず、話すことにでも。
実際の僕の例を挙げると、二人称代名詞を「あなた」にするのはもの凄くオシャレだと感じたので、書くという場ではなるべく「あなた」を使うようにしています。他にも口語において、あまり親しくない友人(あるいは親しくても)は呼び捨てではなくて君付けをする、というのは中学の頃の友人をお手本にしています。
真似したい表現を取り入れていくことで理想に近づくはずなんだけど、じゃあ自分の使っている言葉はお洒落か?と聞かれたら間違いなく「NO」なのはなんでなんでしょうね。不思議。
まとめ。
・再生余裕な文章を書きたい
・憧れの表現は取り入れていこう