なまこ旅行記。

旅行記と生息記。

なまこ旅行記

反省

 突然ですが、僕にはトランスジェンダーの友人が複数名います。その人達の内面の性にあった格好を見ても、君は「かわいい」「かっこいい」って言ってくれないんだね、と指摘されたことがあります。

 別に、ありがちな「人は中身が一番!」とかくさいセリフは言いませんし、僕はまだそんな出来た人間ではありません。

  理由は、まあ僕が照れ性で褒めるのが苦手ということもあるのですが、決してそれだけではありません。僕は格好良さや可愛さを、親愛な関係な人にあまり使い たくない、それが一番の理由です。これは別に、可愛いという感情がないというわけではありません。仲間由紀恵さんを見れば綺麗だと思いますし、女子大生の 後輩や同級生を見て、可愛いなあと思うことはあります。(当たり前ですが普通に褒めることもあります)

 ただ、僕自身容姿に自信がありませ んし、どちらかと言えばお洒落な方でもないので、僕の可愛い、格好いいという言葉に、果たして説得力が、価値があるのかどうか?という問いに、自分で「な いな」と結論を出しています。あとはまあ、ずれてるって理由もあります。一般で可愛いと言われている女優さんが僕には可愛く見えないことは頻発してます し、僕からは可愛く見えても特にかわいいと言われない人もいますし。だから、ということもあって自分ごときがその基準で相手を評価しては失礼だな、そう思 うのです。それゆえ、おそらく無意識のうちに、人を可愛い格好いいで評することをあまりしていないのです。むしろ、僕が人を褒めるときに使っている基準は 「それは独自の視点かどうか」「自分の知らない知識、見識なのか」「その考えは何にもとづいているのか」「真似出来そうな考え方か」などで、まあ腐っても 大学生ですし、多少のそういったお勉強はファッションよりもしてきましたし現在でもしているため、そっちの方がまだ自分でも判断できそうで、失礼ではない かなあと思うからです。


  そしてそれは、偶然にも今話題の?LGBTトランスジェンダーパンセクシャルなどの人に、あんまり偏見がないことにも繋がってるのかなあと思います。 僕はそういったものを主題とした作品によく触れますし、学術的な話に目を通すのも(おそらく)人より多いので、特にそういった存在が「未知のもの」「怖い もの」「遠くにあるもの」ではありません。それにとって非常に悩んできた彼/彼女らにとって非常に失礼な言い方をしてしまうかもしれませんが、前述のとお り、彼/彼女らの容姿が服装や何かで変わろうと、僕にとってそこはその人個人への評価基準にはあまりならないですから、そういうものだと納得してしまって いる場合、あまり反応を返せなかったりします。また、体の性と恋愛対象の性が一緒であることは気にならなかったり、むしろそれはどこに萌えるのかなどと いったお話をうかがってみたさのほうが上回ります。自分にもそういった側面がないかと言われればないとは言い切れませんし。

 ただ、これはカミングアウトしてくださった彼/彼女らにとってはあまり良くない反応だよ、と忠告されました。彼/彼女らはしばしば差別されがちな自分を公表することに対して、非常に勇気を出したのだから、それを軽く扱ってはいけないよ、そう言われました。


 こ の記事を書くきっかけになったのは、最近、小学生に性別欄を選ばせる指示をしたときの、ささやかな失敗でした。そこそこ間違いの多い、ちょっとめんどくさ めの、質問の多い作業から、たった二択の「男子/女子」を選ばせる簡単な作業に移行する、という気楽なものに変わる。子どもたちはそれなりに緊張もあった し、僕は考えなしに「次は男子/女子を選んでください。わからない人は…いないね?」という言葉を発してしまいました。

教室は笑いに包まれました。緊張もおそらく解れたことでしょう。ただ、僕はその後、思いつめたような顔で、「私/僕学校で性同一性障害って言われる」(原文はもっと性別が確定できる口語でした)と言ってきた子に、自分の考えなしさを教えられました。

特に「ことば」を専攻するものとして、そういった「文法上」のことば遣いだけではなく、そのことばの持つ意味、専門用語的に言えば「語用論的意味」が一番近いのでしょうか、をもっと考えて使っていきたいと思います。

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